« 母の退院で思うこと①誰もがヒーラー。 | トップページ | 母の退院日に思うこと③まずは、自分が幸せになること。 »

母の退院日に思うこと②私の生きる道。私が救われた言葉たち。

震災と合わせるように母が倒れ、インドダラムサラ行きを前日にキャンセルしてから、9か月。

あの日から、私は、またも突き動かされ、新たなステージに立った今の私として存在しています。

先ほどは、お昼ご飯を病院で一緒に食べた母が、「昨晩は、倒れてからのことを思い返して、眠れなかったよ」と話してきました。

その母の話を聞きながら、この人は、周りの人の「愛」によって生き返ったんだと改めて感じました。

そして、その「愛」を受け取るようハートを開くことができたから、ここまで回復したんだと感じました。

母の話を聞きながら、思わず泣きそうになり、ひとり車で家に戻ってくるときには、大粒の涙が頬を伝いました。

ふたりで、「これから」だけどね、よくここまで来たよねって話せるようになったことすら、奇跡に思えて。

妊娠入院中の妹から、母がもらったというメールにも、思わず泣きそうになり、私たち家族にとって、離れていてもほどけない絆を、私たちが得たことを感じました。

と、まぁ、私はひとり感動しているのですが、こんな日も、仕事のハプニングで走り回って、浸っている間もない父を、「ごめ~ん、私だけ節目のまとめしちゃって(笑)」と、ねぎらいながら、心のなかで一番、感謝しながら。

***

今日は、溢れる気持ちにまかせて、思う存分書いちゃえ!ってことで、思うままに綴っておきます。

いつも文章が長くて、ごめんなさい。数年後には、もっとシンプルでハートを射止める記事になっている予定(笑)

さて、私は、3月以降、大好きだった書くという作業さえ一時期はできなくなり、ましてやセッションなど到底できない精神状態に陥りました。

ひと一倍、元気で明るくて世話好きで、おしゃべりだった母が、しゃべれなくなり、一切動けなくなり、それだけならまだしも、コントロールのきかない精神状態に。

父の会社を必然的に手伝うことにもなり、母のお兄さんは危篤になるわ、私の恋愛はこんなときに大打撃を受けるは、ほかにもこんなことが重なるんですか~?!ってことが、わんさか重なって。。

なにより、拠点を関東に置いてひとりで、仕事をしていた私にとって、今後の身の振り方をどうするかを突きつけられる事態となったのでした。しかも、軌道に乗せ始めるぞ!ってところで。

それでも、私が恵まれているのは、周りに物理的現象を物理的現象として捉えない友人ばかりがそろっているということでした。

仕事をご一緒している友人は、その勘のよさから、「ひろかさん、インドに行っていないのではないですか?!なにかありましたか??」と即座に電話をくれました。

また、別の友人は、「お母さんは、ひろかちゃんのスピリチュアルティチャーだから、大丈夫だよ♪」というメール。

そういう言葉が、私をどれだけ救ってくれたことか。

***

私が、まず、何に苦しかったのかといえば。

母が倒れ麻痺になり、母のお兄さんも危篤、父の会社も大変、日本もおそろしく大変な状態、自分の恋愛もガビーン!な中で、「私の人生はどうなるの?」と、私は私のことばかりを考えていた自分でした。

自分の生きる道を見つけ、この道で生きていく!と決めた矢先に起こった出来事。

母を介護していく人生。私の人生は?私の夢は?私は、これからずっと母の介護の人生を歩まなければならないの?

介護の人生がどんなものか私は、何十年も介護を続けてきた母を見て知っていました。

私は、母がこれからどんな風に立ち上がって生きていくかより先に、私の人生のことばかりを考えていました。

そして、そんな自分を自分が一番、許せなかったのです。

私に愛なんか、これっぽっちもない。

心を開く、開花する、目の前の人に本音を話せ、心から喜びと優しさを交流しながら生きることが、ひとつのスピリチュアルな生き方。

すべてつながっている。

すべて宇宙のはからい。

ひとりの開花は世界、宇宙の開花と信じ続け、自分が開けば相手が変わる、現象が変わる、もっと輝く生き方にシフトできるよ!

そんな風なことを伝えてきた自分にとって、今回のことは、そうやって生きてきた末が、これ?(もちろん、これもひとつのプロセスなので、「末」って言葉は、間違いなんですが)

という感覚にすらなるものでした。

でも、一方で、自分自身がスピリチュアリストとして生きるなら、「本物」になっていくうえで、絶対的に越えなければならないテーマ、体験しなければならないことであることは、直感で感じていました。

宇宙は、私がもっとお役に立てるように、突き動かしてくれているのだと思いこそすれども。。

それでも、すぐには受け入れられない。

すぐに実家に戻り、毎日、自分のできることをするなかでも、私は、「私に愛なんてこれっぽちもない。一番大切な家族がこんな状態なのに、何が自分の生きる道だ、自分の生きる道と思ったひとつの形であるセッションなんて到底できるはずはない。もう戻れないかもしれない」

そんなことすら思いました。

そんなとき、妹は、私に厳しくはっきりと伝えてきました。

「いま、姉ちゃんが、家族のことを思って動いていることが、愛でなくてなんなの?いま、姉ちゃんがやっていることを愛と呼ばずして、何を愛を呼ぶの?

自分に愛がないだって?なにいうとるん。

もっと、自分で自分をしっかりみいや!!!」、と。

私は、何をしても、誰になにを言われても、どこまでも、自分を自分で認めることができてこなかったのです。

親友は、「H(亡くなった親友)のときだってそう。私は、ひろかちゃんほど、愛のある人を知らない」。

そんな風に伝えてくれました。

それでも、私は、苦しかったのです。

何をどうしたって、私は、私の人生ばかり、私は私のことばかりを考えていることが。

その一環として、母や父のことを考えて動いていることが。どうしても許せなかったのです。

究極には、人はみな「自己中心的」である。その現実を自分自身に知ってなお、私は、光のような存在になりたかった。

愛ってなぁに?

ずっとそう問い続けながら、母のそばに、父のそばに、寄り添いました。

今は、思います。愛って、ただその人のことを思って、そばにいることだと。

私は、そこにいるだけでよかったのだということが、よくわかりました。

みんな、そういう存在なのです。ただ、そこにいるだけで、本当はよくって、そこからスタートなんだと思います。

***

私は、小さいころから、ずっと自分の存在価値を認めることができなくて、自分を消してしまいたくて、自分をたたいていた時期もあります。

20歳のときに、心の友をなくして、「生きる」って決めて生きてきたから、どう生きるかしか考えなかったけれど、それでも、ずっと生きていることが苦しかったのだと思います。

いつも、どんなに楽しいことを経験しても、刹那的な感覚になっていました。

けれど、自分を見つめ始めたときから、その感覚はどんどん薄らいでゆきました。

今回は、どんな感覚や感情を味わっても、人生を終えたいなんて一度も思わなかったし、自分をたたきたいなんて、一切思わなかった。

それどころか、これは本当に奇跡のような出来事だ、完全に完璧で、パーフェクト。

私の人生にとっては、素晴らしいギフトなんだってことを、腹の底では常にわかっていたように思います。

そういう私が、もうひとつ苦しかったことは、「それでも、私はひとりだ」って感覚でした。

妹は結婚していて、最愛の彼がいて、最愛の息子がいる。しかも、もうすぐ最愛の娘までできる。

母だって、どんな体になったって、どんな精神状態になったって、決して見捨てない、果てしなく大きな愛で包んでくれる父がいる。

ふたりの絆は、この出来事で、より固くなった。

そういう二人の姿を誰よりもみたく、その姿を見たいために、もがいてきた私。

その姿をみたとき、自分の中の何かが溶けたのも事実でした。

けれど、そのあとに襲ってきた感情は、「お母さんは、いいよね。お父さんは、いいよね。だって、ふたりなんだもん。お母さんは、数年後には、絶対もっともっと回復する。

私は、ひとりなんだよ。私は、ひとりなんだよ」。

その感覚は、消そうにもどうやっても付きまとってきました。

そんななか、私が見続けたものは、自分の内側。

私が何を思い、何を感じ、何が絡まっているのか。何が自分を苦しめているのか。どうしたら、それが溶けるのか。

私が何をしていたら、心が軽やかになるのか。

果敢に、その道を選択し続けた9か月だったように思います。

東京にいちいち戻るにも、父は毎回必ず聞きました。「その予定は、絶対か?」。

母を思い、父を思い、家族を思う私にとって、その言葉が、どんなに胸に突き刺さったことでしょう。

苦しんでいた時、またその杭をはずしてくれたのも、妹でした。

二人で、甥っ子をベビーカーにのせて氏神様にお参り散歩の途中、「姉ちゃん、お父さんの絶対は絶対じゃないよ。姉ちゃんの本気を試しているだけだよ。

姉ちゃんは、この状況にあっても、「今」自分がしたい!って思うことをすればいいって思う。ただ、それだけでいいと思う。

だから、戻りたいって思うなら、東京にもちゃんと戻っておいでよ」。

この言葉を早い段階で聞いたからこそ、私は、どんな状況下であれ、いましたい!と思うことに、果敢に挑めたのだと思います。

そして、ともすれば、「なんで私ばかりが」と思いそうになる気持ちを、妹には妹の人生、私には私の人生、できるときにできることをするというシンプルな思いに切り替えることができたのだと思います。

私が妹に思うことは、妹が妹自身の心を保てる距離感と関わりを調整してねってことでした。

あとは、独り身の私が、動けることは動くから!って思っていました。

それぞれが、自分のできる範囲で、キャパを超えないこと、自分の心を穏やかに保ち、お互いを思いやれる余裕が少しでも残っている状態を、常に作っておくことが必要だと感じたから。

そういう意味では、妹を支えてくれた、妹のだんなさまにも本当に感謝なのです。

***

そして、そんな私を立たせてくれたのは、私を東京さいたまで待っていてくれた人たちでした。

ひとつには、自力整体やパステル、気の呼吸健康法に通ってくださっている方々、そして、セッションを受けたいと言ってくださる方々のおかげ。

「このまま実家に帰らないでください。待っていますから!!」と強く厳しく言ってくださったことが、どれだけ、私の心を支えたことでしょう。

それぞれが、いてくださって、関わってくださったことが、私という星を生かしたといっても過言ではありません。

どこかで、二度とセッションはできないかもしれないと思ったりもしました。

けれど、「あきらめるのか?」と厳しく言われたり、「今は、できなくていい。でも、ちゃんと先を描いておこうよ」って優しく伝えてもらったり。

そんな私を本気で立たせ、もう一度、自分の生きる道としての仕事に復帰させるきっかけを作ったのは、ほかならぬ母でした。

6月までの4か月間は、ほぼ毎日、母にヒーリングやセラピーを施していました。

けれども、それは、プロとしてではなく、娘としての感覚が強かったのです。

そこには、どこかで甘えもあったかもしれません。

あるとき、私のセラピーを本気のセッションとして、母が受けたいと言ってきたとき、私は自分の使命が呼び覚まされるような魂が揺さぶられるような感覚を得たのです。

そのときは、いつもと同じように、意識を集中しリーディングし、必要な施術をすべて施しました。

そんな日々を経て、オーバーワーク寸前までいったとき、私自身が腸炎になり、また切り替わりのときを迎えました。

そして、私は母にとって、また普通のおしゃべり好きで、かなりヒーリング能力も高い(笑)けっこうマッサージも上手で勘のいい(笑)娘に戻りました。

いまでは、ほんと、おしゃべり母娘。

父が、「血管が切れて(笑)、母さんは最近、神がかっている」というように、母は、スケジュールを伝えていないのに、私が東京さいたまに戻る日を知っていたりして、驚いたりもしました。

いきなり起き上がって、妹の妊娠初期、「女の子!」と言った話は、家族で笑い話に。沖縄でいうなら、ユタかよ?!

そして、美しさに関しても意識の高い母。

私がここ最近、どんどん綺麗に可愛くなっていくのをいち早く気づいてくれました。(あ、自分で言っちゃった)

「チークを今日はちゃんといれているね!そして、そのグロスをつけると、頬がぱあっと明るくなって綺麗にみえる。顔もちっちゃく見える。いい!いい!」。

細かに、こんな風に見えるからいい!といってくる母の目に、このひとすごいなぁと思わずにはいられません。

母にも綺麗でいてもらわなくっちゃ(笑)

***

そういえば、この流れのなかで、一番大切なものと自分の生きる道ってことで、苦しんでいた私に、親友が言ってくれたことがあります。

「一番大切なものは、目の前の大事な人。大切な人。そんなのわかっているよ。

妹ちゃんは、それが目に見えてわかる状態にあるわけでしょう。

お母さんより、いま一番大事なのは、自分の子ども。明らかに守るもの大切なものがある。

だから、守られてしかるべき生活。

でもね、思うんだ。結婚していない私たち。ある意味、自由に飛び回れる私たち。守るべきものがないように思うかもしれない。

でも、それは自分を犠牲にすることじゃないんだよ。

ひろかっちが、この数年、大事に大事に築き上げてきたもの。こちら東京での生活も、守られるべき尊厳のあるものなんだって思うよ。

ひろかっちの気持ちもよくわかる。誰よりも家族を思って生きてきたひろかっちだもの。

でも、覚えておいてほしい。ひろかっちの生活も人生もちゃんと守られるべき尊厳のあるものだってことを」。

それぞれの人生は、尊厳のあるもの。

こういう言葉にも救われました。

本当に、数えきれない「ありがとう!」と感謝をこめて、この記事を終えることにします。

***

と、ここまで書いて、やたらすっきり。

と思っていたら、父から電話。今晩のお祝い夕食の打ち合わせ♪

タイミングってこういうのを感じても、素晴らしいなぁって思います。

|

« 母の退院で思うこと①誰もがヒーラー。 | トップページ | 母の退院日に思うこと③まずは、自分が幸せになること。 »

魂の解放と開花(心と身体)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 母の退院日に思うこと②私の生きる道。私が救われた言葉たち。:

« 母の退院で思うこと①誰もがヒーラー。 | トップページ | 母の退院日に思うこと③まずは、自分が幸せになること。 »