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諸行無常の響きあり。すべてのものは変化する。

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」。

最近、この言葉が、頭のなかを流れることがしばしばあります。

3月11日以降、身近なひとたちの人生の転機にまつわる話が、なんとも多く飛び込んでくるせいもあるのでしょう。

それは、喜ばしい話だったり、悲しい話だったり、うらやましくもある話だったり、かける言葉を失うほどの痛烈な話だったり。

そのたび、垂れ幕のように、「諸行無常の響きあり」と、流れるのです。

いまこの瞬間に、良い悪いと思っても、その次の瞬間には、それは逆転することもある。

本当に、みんな、ひとりひとりの人生というドラマは、ドラマチック。良い、悪いで切り取ることができないのが、諸行無常。変わりゆくものの常。

そして、その心のうちは、誰にも計り知ることができない。

私から感じて、どんなに苦しいだろうなと思っても、たいしたことはないと感じていることもあるでしょう。逆に、それぐらいでよかったねと思っても、しにたいくらい苦しくて仕方のない事実だったりするでしょう。

私のこと、私の家族に起こったことも、それと同様で、「大変だったね」、はたまた「ラッキーだったね」と、一言で片付けられる出来事でもあります。

だからこそ、自分の精神も心も肉体もおかしくなりそうなくらい渦中にあるときは、次のように必死で思いました。

「私の心よ、何が起こっても、何を見ても、何に触れても、何を言われても、平穏であれ!」と。「とにかく、私の心よ、平穏であれ!!」と。

私自身さえ、平穏であるならば、穏やかな心で目の前の人に接し、いま自分ができることを愛をもって行えるのだから、穏やかで笑顔あふれる未来を創造できるのだから、と。

私が自分の中心にいて、こころに平穏を宿しているならば、私は笑顔で生きられる。

究極、そこから始まる。

起こった一連の出来事から、私がどう感じていようが、なにも感じていまいが、人は簡単にさまざまなことをいうでしょう。

私も同じ。人には、簡単に言えるのです。そして、一夜にして言ったことすら忘れたりする。それが、自分とは違う人間であることの証。自分は、「自分」でしか生きることができない証。

だからこそ、思います。究極、自分がどう感じるかだけだと。他人からどう感じられようか、見られようが、私が「幸せだ」と思っていさえすれば、なんにも問題なんかないってこと。

他人を変えることはできません。

自分の意識が変われば現実が変わる。見える世界が変わる。人が変わったかのように感じられ始める。

やっぱりそれぞれ、機軸は自分なんだなぁと思います。まぁ、その自分すら、意識としてどこにいるのかわからないから不思議ですが。

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また、渦中のときは、こんな風にも思いました。絶対、年の後半には、愛ある笑い話に変えてやる!来年は、この物語を、爆笑もんで話してやる!!と。

そう思いながらも、泣いたり、きょうふで目覚めたり、眠れなかったり、胃を痛くしたり、肉体レベルにも降りてくる感覚をなんとか安らかなものにしようと、必死で自分の愛にあふれる世界の見え方を構築したりしたものでした。

そのとき、自分に言い聞かせたのは、「すべてのものは変化する。そして、すべての変化は良い変化」。

どんなに苦しい状態も、逆にどんなに喜ばしい状態も、変化しないものは、この世に生きている限り何一つない。本当に、変わらないものは、何一つない。

絶対があるとするならば、「変わる」ということだけ。それが、宇宙の仕組みだから。

そう思って、過ごした4ヶ月でしたが、まさしくその通り。変化するもんですね。

友人には、そんだけ物事から、人から、逃げずに丁寧にひとつずつ向き合って、しかも現実でも動いていれば、絶対抜けるよ(笑)と言われましたが、本当にその通り。

思い→発し→行動する。この3つで、現実は、確実に変わるのですね。

3月11日以前の自分とは全く違う感覚の自分。1ヶ月前の自分ともまた違う感覚の自分がここに存在しているのを感じます。

この数ヶ月で、コロコロ髪型を変えているのも、脱皮を繰り返して、なんだかしっくりこなくなって、次の展開に挑んで、またしっくりこなくなって、次のステージ、というのを繰り返している象徴なのかもしれません。

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それにしても、こんなにも猛スピードで心に絡まった紐をとく作業を行えたのは、ほかならぬ周りの人たちのおかげです。

「たとえ、私が進んでいないように感じられたとしても、つながっている人たちが進んでいるように感じられたとき、それは、私に吹いている風でもある」。

つながっているってそういうことなんだと思います。

だからこそ、今日は今日で、今日の風を感じながら、過ごしていられることに感謝です。

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けれど、しばしば、隣の芝は、青くみえます。ときに、すこぶる青く見えます。

そして、焦ります。私だけ進んでいないかのように感じて。

けれど、自分を他人のようにして横ちょのほうから見てみたら、あら、けっこう青い芝に見えるぞ、ひろかっち(笑)って思いました。

何に視点を置くかで、ものの見え方は変わってくる。

そして、私は、私に起こることなんだから、愛を感じるためのものしか起こらないと決め付けている感があります。そして、人と話すのは、その流れを確認するためだったりします。

ある友人が、ひろかちゃんは自分を絶対的に信頼しているんだねって言ってくれましたが、それを信頼と呼ぶのか私にはわかりません。

ただ、ひとつ言えるのは、スピリチュアリティ(精神性)を伴った生き方、感じ方をして生きてきた副産物は、すべては、私が愛を感じるため、私が幸せを感じるために起こっていることだという決め付け視点なのかもしれないということです。

本当は、高次元の感覚で、「愛の体験」、それがすべてだと常に感じていたいものですが、泥臭い人間である私は、超現実主義的なところもあって、どうやら一個一個体験していきたい様子。

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とにもかくにも、隣の芝が青く見えたところで、所詮、それは、一部の芝。

どんな人の人生も、「諸行無常の響きあり」とともに成り立っていることを感じて、私は私の人生を私の思うように生きようと思うのでした。

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